どうもたんたん(@tantan4423)です。
僕は5年前に保育士から介護士に無資格、未経験で転職しました。
最初の3年は島根県で法人内のショートステイと従来型特養とユニット型特養で経験を積みました。
その後上京し介護派遣にて有料老人ホームで夜勤専従として働いた後に島根に帰省し老健に勤務しました。
今はフリーランスとして作家活動やマーケティングやアフィリエイトをしています。
でも時期には現場復帰するつもりです。
かいご畑で実務者研修の資格を無料で取得して国家資格である介護福祉士を取得するつもりです。
かいご畑に関しても詳しく解説している記事がありますので良かったら読んでみてください。

先日以下のようなツイートをしました。
よく感じていたのは「子どもを介護要員だと思っている親が多くない?」という事
別に子どもは親の老後の為に生まれてきたわけじゃないわけではない
中には子供のお金で介護を受けることに当たり前だと思っている方もいるぐらい
子供の人生を食い散らかして子供が破滅したケースは多くみてきた
— たんたん@介護×ブログ (@tantan4423) September 9, 2021
よく感じていたのは「子どもを介護要員だと思っている親が多くない?」という事
別に子どもは親の老後の為に生まれてきたわけじゃないわけではない
中には子供のお金で介護を受けることに当たり前だと思っている方もいるぐらい
子供の人生を食い散らかして子供が破滅したケースは多くみてきた
今回は上記のツイートに関して解説していきたいと思います。
以前、親の介護をせずに介護施設に預けた方がみんなが幸せになる理由と記事で、もう子どもは在宅介護の考えは捨てた方がいいという話をしました。
今回は親として『子どもを介護要員として考えるのはやめた方がいい』ということについて書いていきたいと思います。
それでは以下より解説していきます。
※待遇の良い介護施設に転職するために必要なノウハウをまとめた記事がありますのでご活用ください。

子どもを介護要員として考えはあてにならない

子どもを介護要員としての考えは愚か
親の介護のために生まれたわけでもないですし、もう違った人格を持った他人という意識は必要
いくら子どもだからと言って子どもの時間やお金をあてにしていい理由はない
それなら自分の数年分の介護費用+亡くなった後の子どもの生活費数年分以上は必要だと思う
— たんたん@介護×ブログ (@tantan4423) March 17, 2021
よく自分の親が他の人に子どもが介護職という話をすると『それなら老後は安定だね』という話をする人がいますけど、勘違いしないでいただきたいです。
介護職の子どもほど、介護に精通しているので速攻市町村に申請して施設に入れようとしてきます。
淡い期待は捨てた方が、老後の人生設計はしやすいと思っています。
子どもを介護要員として考えることの愚かさ
そもそも子どもは親の介護要員として生まれてきた訳ではないです。
そりゃ以前は在宅で子どもが親の介護をするのは当たり前の時代でした。
しかしそれはもう時代遅れの考えです。
子供が介護をするに当たって犠牲にするものが多すぎる
しかし子どもが親の介護をするにあたって
- 仕事を辞めなければいけない
- 仕事を辞めることによって社会的に隔離される
- 親がお金を持っていなかったら詰む
- 子どもの人生が親のせいで台無しになる
という問題が多発して2000年に介護保険制度が生まれたという背景があります。
今では労働収入が減って子どもが介護をしても残せる遺産がある訳でもないですし子どもからしたら親を介護する旨味がないんですよね。

子供側も親を介護をする余裕はどこにもない
社会から隔絶されるし、金銭的にも厳しくなりますしそんな汚れ仕事をわざわざ請け負う必要なんかないのです。
それなら親を施設に預けて仕事をして金銭的や社会とのつながりを持って生活した方がいいに決まっています。
もうそれが当たり前の時代に自分の老後を子どもに任せるって考え方自体が破綻しています。
子どもに介護をして欲しいなら莫大な遺産を残して子どもの生活を守ってあげられるぐらいの余裕を作ってからいうべきです。

他人(子ども)の時間とお金をなんだと思っているのか?
もしかして「親は子どもを育てたから恩返しで子どもが介護をするのは当たり前」という考えを持っている人も多いかもしれないですけどそれは思い上がりです。
子供は親を介護するために生まれてきたわけではない
別に子どもは好きでその親の元に生まれてきた訳でもないですし、そもそも別の意思を持った違った人間です。
子どもを育てることは確かに大変なことだというのは分かるのですけど、それと「老後の介護をしなくちゃいけない」という考え方は一致しません。
はっきり言って自分で勝手に産んで育てたくせに、「自分の最後の面倒を見てくれ」は自分勝手すぎないでしょうか?
子どもの時間やお金を奪う権利は親にもありません。
親ならもう少しそこのところを考えてみたらどうなんでしょうか?
子どもは親に自立してもらう必要がある

僕自身今は親と一緒に生活していないですし、親を助ける行為は全くしていません。
もちろん親に助けを求めることも減ったのである程度自立していると思います。
それ以上に子どもは親の自立を促す必要はあると思います。
自分の老後は自分で考えて備えるようにありたい
そもそも自分の老後なのに自分の子どもに託すって意味が全然わからないんですよね。
「無理なことは無理」と言えないと共倒れする
自分の人生を他人に投げるって本当に無責任な行為です。
他人の明らかな善意で生き残っていくのが当たり前って考えは多くの人間を不幸にするので辞めましょう。
よく親の介護辛くて無理心中した事件がありますけど、個人的には同情する余地はないと思っています。
親の介護をするのが無理ならどこかに市町村に「もう無理です。何もしなければ私は家を出て行きます」といえば絶対に助けてくれると思います。
良い親は介護で子供が人生を狂わされるのに耐えられない
親だって自分の介護を子どもがして本当にいいと思っているのでしょうか?
好きだった仕事も自分のせいで辞めて、自分のせいで子どもの未来を奪ってしまう。
そう考えられない人はそもそも子どもを産む資格がないと思いますが・・・
僕自身親じゃないのでその気持ちはわからなくて綺麗事を言ってしまっているのはわかっています。
しかし親自身が子供が介護のために犠牲になることを望んでいたらそれはもう毒親の域です。

自分の老後はある程度自分で備えるべき
お互い死ぬならもう子どもは親を捨てて逃げるべきだと思うんですよね。
子どもに自分のことをまかせるって本当に思考停止で後先をろくに考えない考え方でしかないです。
昔はそうだったのかもしれないですけど、今は違います。
まずは自分で老後のことを備えるべきですし、子どもを自立させると同時に自分も自立する必要があるのではないでしょうか?
親に自立してもらうためには援助をしないこと
主観ですが、いい歳になって共依存の親子って結構いるんですよね。
親が子どもに介護をお願いするのもどうかと思いますし、子どもや親が片方から資金的な援助を求めている人が結構います。
それは相手の自立を遠ざけて、結果的に介護の負担を増やすことになってしまいます。
自立していない人が介護を受けたり、介護をするのは辞めたほうがいい
こういう援助も行なっていなくて、受けてもいない僕は親不幸かもしれないです。
しかしそこで親を助けたところで親が子どもに依存的になって「いざとなったら助けてくれる」と思われるのはあまり良くない傾向だと思っています。
東京から島根に帰って感じたことは結構地方の方では家族で協力して生活しているところがあって何歳になっても実家にいる子どもが意外に多いということでした。
その子どもの将来は結局親の介護に強く関わることになるので、親の自立的にはどうかな?と個人的に余計な心配をしてしまいます。
自分が精神的、経済的に自立した人間なら親の自立を促していくべきです。
自立していない親を持ってしまうと大切な時期に足を引っ張ってくることもあります。
子どもを介護要員として考えている人は子どもからの依存から脱却できていない証です。
自分の尻拭いは自分である程度はするべき

老後は長く生きていれば誰にでも訪れる問題です。
その問題と真剣に向き合わずに自分の子どもに責任を丸投げるのはいかがなものでしょうか?
子供が介護をしない事を前提に人生設計をするべき
もしその子どもが親の介護をしたくないから親から離れて「もうなにもしない」と言ったらどうしますか?
その時に涙を流すのは親本人ではないでしょうか?
全てが自己責任とは思わないのですけど、自分の問題を他人に丸投げして備えないのはどうなんでしょうか?
施設に入ってくる入居者の親も在宅介護で疲れていて、介護施設に入れたことを喜んでいた家族は多いと思います。
親がしっかり自立して考えられる人なら子どもはそんな苦しみを味わうことなく済んでいたはずです。
まとめ・・・

- 子どもには子どもの人生がある
- 子どもの人生を奪うことを押し付けるべきではない
- 子どもがもし「介護しない」と言ったらどうするのか?
- 自らの問題は自らでなんとかするようにする
- 子ども同様親も自立するべき
- 子どもが親を甘やかすことは親の自立を遠退ける
何度も言いますが、自分の人生は自分で責任取るのが原則です。
まずは子も親も自立した人間になるような関わり方を考えた方がいいのではないか?と思います。
これにて終わります。閲覧ありがとうございました。