ゆとり男とミニマリストの融合ライフ

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NHK教育テレビの『ニッポンのジレンマ』の働く論の回をみて思ったこと

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26日の深夜0時〜1時に放送された『ニッポンのジレンマ』を観ました。

 

www4.nhk.or.jp

 

 

 

大好きなphaさんが出ていたということもあって楽しみにしていました。

 

 

実況みたいな形でたくさんツイートもしたので、まとめて記事にしたいと思います。

 

 

 

 

 

今回の回は働く事について議論する回だったので僕としても非常に興味がある内容でした。

 

 

いろんな価値観を持った人と議論しているのは好きですので、こういう社会的な問題について話すときは各分野の専門家みたいな人を揃えた番組をもっと作って欲しいですね。

 

 

今を生きている人間が今を生きていない事実

 

 

 

この番組の形としては、別会場で行われた実際に発言した若者の言葉についてスタジオで出演者が議論するような感じになっていました。

 

 

若者の発言のなかで社会の一員として働くという事に関して、自分の生きていない未来の事を見据えたり、周りからの評価について悩んでいて生きづらいそうだなと感じた。

 

 

100年社会とか言われてるけど、自分が生きていない未来のこと考えても仕方ないだろと僕みたいな人は感じるし、馬鹿馬鹿しい。

 

 

僕と同い年ぐらいの人が社会における自分の評価やどのように社会に貢献できるのか?という事を考えていて、 凄いとは思ったけど共感が出来なかった。

 

 

未来の事を考えるのはいいけど、そのせいで今の幸せを捨てたり、実態がよくわからない世間に振り回されるのはどうかと思った。

 

 

僕も彼らと同じように若者として括られるのだけど、その内情はバラバラだ。

 

 

今回の若者のジレンマに関しては、若者だけが感じているものではない。

 

 

ただ、多様性を重視する考えが徐々に出てきてその先導者でもある若者が違和感を感じて今の世の中に疑問に思って生きているのだと感じた。

 

 

周りの大人に多い価値観の「働いて社会に貢献する事が至福」みたいな考えがうまくハマってないんだなとは思う。

 

 

社会からの無言の圧力に苦しんでいる

 

 

 

 

生きるためには働く事はしないといけないかもしれない。それは当たり前のことかもしれないけど、働かない人間は死ねばいいとかそんなのは極端なのではないだろうか??

 

 

phaさんは別に死ななきゃ何をしてもいいみたいな事を言っていて非常に共感できた。

 

 

自分が身を置く環境が家族と会社がだいたいのウエイトを占めているので、そこに認められる事が幸せになっている。

 

 

認められるためには一生懸命に働いて社会に貢献しなくちゃいけないという脅迫概念が今の若者を脅迫して追い詰めているのではないだろうか。

 

 

結局社会において自分を認めてもらうためには結果を出すべきなんだろうけど、逆に結果を出すことだけにこだわって働くことを通して自分の幸せを蔑ろにしているのではないだろうか??

 

 

結構仕事でミスをしたとか、人間関係が良くないみたいなことで絶望してしまう人は多いんだけど、たかが仕事だ。

 

 

そんなことで死んでしまったり、鬱になってしまうほうが絶望的な状況だと思う。

 

 

社会が求めてくることに対してみんなが真剣に考え行動しているとは思うけど、社会というもの自体曖昧なもので、何が正解かよくわからないところが多い。

 

 

結局社会を語る人間が自分の都合の良いように回るようなポジショントークに過ぎないと思う。

 

僕達若者はそういうよくわからないものに対して勝手にハードルをあげてしまって自らの首を絞めてしまっているのではないだろうか。

 

 

僕の場合は人の目を気にしなくなって、自分がいいと思うように行動するように意識してから、生きづらさがけっこう軽くなった気がする。

 

 

別に今いる会社で嫌われようが、たまたまそこが自分に合っていなかっただけだと思うし、世界は広いわけだし自分に合った場所はどこかにあるという思いがある。

 

 

会社や家族に身を置く時間が長ければ長いほど、考え方も偏ってしまい今いる場所が世界のすべてだと感じてしまう。

 

 

 

無言の圧力とかはできるだけ無視して自分が一番楽でいられるような生き方をカスタマイズすることが求めれる。

 

 

周りがすべて解決してくれるみたいな圧倒的受け身体制でいると飲み込まれてしまうので注意が必要だと思う。

 

 

働かざる者食うべからずについて

 

 

漫画家の蛭子能収さんが仕事論みたいなのを述べていた。

 

 

それは『働かざる者食うべからず』という言葉なんだけど、この言葉ってもともと労働者を指していっている言葉ではなく、全く働かないお金持ちに対して庶民が放った言葉なんだけど、最近は間違った意味で広がって働かない若者に向けて言われていることが多い。

 

 

まぁ蛭子さんとかの時代はまさにそうだったのかもしれないけど、今頑張って働いたところで社会的にみて大きな進歩があるのだろうか?とは思う。

 

 

 

 

A1理論さんが言っているとおり、今は頑張って働いたところでプロダクトの生産性がカンストしている。逆にもっと働かなくていい方向に向かっていってもいいとはよく思う。

 

 

そもそも働いていないから食べる資格がないって本気で思っている層が社会に根強くいるというほうが僕的には問題じゃないのって思ってしまう。

 

 

実際にフィンランドでも昔似たような意味の言葉があったらしいけど、社会構造の変化によって薄まったようだ。

 

 

 

 

 

ぶっちゃけ働かない人は食べちゃいけないって障害者や高齢者、専業主婦、子供にもそれ言わないとおかしいとは思いますね。

 

 

なんで働く世代の人ばっかいうのだろうか??完全に差別なんだと思う。

 

 

別に働かなくたってご飯を食べることはできるし、働かなくても飯は美味しい。

 

そんなこと分かりきってるでしょ??

 

この働かざる者食うべからずって言葉が根強いということはそれほど、労働をしなくちゃ人間のクズだという考えが一般的なものになっているのだと感じて背筋が凍ってしまった。

 

価値観の多様化に世の中がついていけていない

 

 

 

こういう働くことに関してズレが生じているのは、価値観の多様化がだんだん認知され始めているのに対して、法律や制度が全然追いついていないからだと思う。

 

 

もういくら頑張って働いても経済成長なんて出来ない時代だし、働き方や人間関係のあり方に対する価値観も昔と比べて大きく変わったと思う。

 

 

と言っても昔の価値観を持った人間はどんどん社会から退場していくわけなんだし、少しずつでも変わっていくのではないかとは思っている。

 

 

今は自分の芯をしっかり持った人間でないと消耗させられてしまう部分がある。

 

 

結局自分が強くなって自分を守らないといけない。どうせ誰も助けてくれないし、自分の身は自分で守るしかない。

 

 

今の世の中が追いついていないみたいなことがあるけど、この世界に生きていかないといけない。

 

 

働くことに関する価値観とかも人それぞれなんですけど、出来るだけ働きたくない人は最低限度の労働と少ない消費によってミニマム生活すればいいと思う。

 

 

僕に関しては今は正社員として働いているけど、どんどん働く回数は減らしていきたいと思っているし、そのために少ないお金で生活するようにトレーニングもしているところだ。

 

結局犯罪さえしなければどのように生きていくかなんて自由だと思う。

 

 

さいごに・・・

 

 

 

働かざる者食うべからずにも感じたことなんだけど、自分と違う価値観を持った人間を切り捨ててしまいがちなのがこの社会の悪いところなんじゃないかと思ってしまう。

 

 

こんなにインフラも整備されて、治安も良くて、テクノロジーも発達しているのにそれに反比例して生きづらい人が増えているのはおかしいような気がする。

 

 

価値観が違う人を切り捨てるのは非常に楽なんだけど、一方で生きづらい人を増やしてしまう貧しい社会になってしまうのだろうかと思う。

 

 

そうならないためにも理不尽に誰かを追い詰めない社会づくりは大事だと思った。

 

 

結構、詳しい内容を伝えられずに思ったことをひたすら書きまくりました。

 

 

僕自身若者ということもあって、非常に感情輸入しちゃいましたww

 

ということでまとまらない文でしたけどこれにて終わります。