ゆとり男とミニマリストの融合ライフ

ゆとり男とミニマリストの融合ブログ

ゆとり世代のミニマリスト。ミニマリストネタを基本につぶやく雑記ブログです。

境界線を引く事は悪いことではない、自分らしく生きる為の戦略なのだ。

最近何かあったかと職場の人や家族に聞かれることがあるのだけどいつも「何もない」って癖のように言ってしまう。

 

ちなみに最近の僕の傾向は仕事をして、好きな本やブログを嗜み、美味しいものを食べたりしている。

 

まぁこう言ったことはほぼ毎日こなしていて、周りから見ると変わらない日常っていうモノかもしれない。

 

でも僕の場合はその変わらない日常だと思っていることをするだけで幸せを感じる人なんだ。

 

という事をブログではいうけどリアルに言えるのは数人くらいしかいない。

 

その原因としては自分自身にバリアーを張り巡らせ自分の「気にいる人以外入ってくるな」っていう思いが無意識のうちに働いているという事もある。

 

かと言って僕は現実ではそこそこ上手くやっていて人間関係のイザコザもそんなにない。

 

ただ肝心なところに関しては、適当に言って誤魔化したりしている。

 

僕はそれが悪いことだとは全く思っていなくて、何でもかんでも相手を受け入れる事はしないほうがいいという考えをもっている。

 

それが家族であろうと。

 

自分と合う人間を求め続けている

 

境界線を張るようになったのはいつからだろう - 甘夏ソースで召し上がれ

 

以前甘夏さんが書いたこの記事みたいに僕もある一定のところで線を引いて本当に好きな人しか受け入れないみたいなところがある。

 

それは嫉妬とかそういうことじゃなくてただ単に自分の言っている事を理解して欲しいから、自分で仲間を集めようとしている。

 

僕の言っていることが理解できる人間が多かったら今こうしてブログを書いている事なんて無いと思う。

 

しかし、ここ最近になってリアルでもお互い理解し合える感じの人と運良く出会った。

 

一緒に散歩をして、仕事論や政治、僕のブログや読んだ本から何でも話している。

 

彼は僕とは趣味が全然違って消費することに喜びを見出している人なんだけど、自分の人生に対して真剣に考え、楽しもうとしている姿が大好きだ。

 

僕自身もいかに一生に一度の人生を最高のものにするために、いろんな考えに触れて試行錯誤を重ねてもがいている人間だから共感している。

 

そういう感じの人って結構いるように思えるのだけど、僕の周りには諦めている人が多い。

 

他人に幸せにしてもらうみたいな受け身で生きている人がほとんどで、そんな人と関わっても何一つ面白くない。

 

僕にとっての境界線って自分の人生に責任を持って試行錯誤を重ねているかということにあるかもしれない。

 

結局自分に合う人間をいかに見つけるかが大切で今はネットを使えば繋がることができる。

 

いざとなれば都会に出てそう言った人たちと生きて行くという選択肢があるので、気が楽になる。

 

僕にとっての仲間集めがすごく大事だと思っていてその為に境界線をひいて選別する行為は大事だと思う。

 

 

自分らしくいられる時間が生きているという事なんじゃないかと思う。

 

人間死んだら何も残らなくない。

 

だからこそいかに自分らしくいられる時間を多く持つ事が大事なんだと思う。

 

でも学校や会社はそれを悪として、みんな同じ事をして同じ考えでなくちゃいけないみたいな事を押し付けてくるので生きるのが辛くなってしまう人が出てくるのではないか?

 

ぶっちゃけ僕は会社や学校には結構適応できる人間ではある。

 

だからそっちの生き方を選ぶ事が出来るのだけど、それが自分らしい時間かと言われれば怪しい。

 

以前までの僕ならそれでいいと思っていたけど、いろんな考えに触れて自分の頭で人生について考える事が増えるようになってから周りに合わせる生き方よりも自分で人生をカスタマイズする方がいいという事を思い始めてきた。

 

よくよく考えれば子どもの時から新しく何かを作ることの方が好きで、友達とどんどん楽しい事を見つけていく事が多かったような気がする。

 

僕にとってはみんな決められた事をするより、自分達でやる事を考えて行動するほうが楽しいし、それがのびのび生きているということなんじゃないかと思う。

 

他人に合わせる生き方もできるけど、自分で考えて何かをする楽しさを無意識のうちに経験している僕からしたら物足りない。

 

でも1人でなんかするよりも複数でしたほうが楽しさや嬉しさを共有することができるから好きだ。

 

だからこそ自分と似たような考えや、面白い事ができる仲間を集めてその親和性の高い人たちと生きていくべきだと思っている。

 

自分が楽しい、嬉しいと感じる時間は長ければ長いほどいい。

 

そう感じる時間が自分らしくいられるときなのかなって考えている。

 

人間関係は寄って離れたりを繰り返すもの

 

何か一度繋がった縁は切れないみたいな事をよく言われて美談みたいにされているけど、僕は疑問に感じる事がある。

 

最初の項で仲間を集めたいと言ったけど、その仲間というのも自分のライフスタイルや考えによって寄って離れたりを繰り返していくべきだと思っている。

 

家族とかって無条件で自分を受け入れてくれる包容力があるのだけど、ずっと一緒にいると頭がおかしくなってしまいそうなのは僕だけだろうか??

 

同じ空間で同じ人間と過ごすのって結構閉鎖的だし、知らないうちに抜け出せないものになってしまって嫌だとは言わせないみたいな雰囲気が出てくる事がある。

 

家族はよくできたシステムなんだとは思うけどその閉鎖的になりやすい性質が最近多いDVや子が親を殺すみたいな事件につながっている部分もある。

 

いくら家族で良い関係を築けていてもちょっとしたことで崩壊する脆さみたいなものはある。

 

ただ血が繋がっているという理由だけで強制的に閉鎖空間にいれられてしまうのは辛い。

 

そして同じ空間にずっといることによってその中のルールが絶対みたいな感じになって、多様性に気付かず押し付けがましい人になってしまうこともある。

 

だからこそ、時々外に対して開いたりして外から家族というものを見る機会が必要ではないかと思う。

 

こう言った風に考えが偏りすぎない為にもよったり離れたりを繰り返したり、新しい付き合いを増やしたりして様々な価値観を知る事が大事だと思う。

 

僕が読書をするのはその他人の価値観を擬似的に知る事ができるからであり、生き方の選択肢を知って増やしていくためでもある。

 

選択肢が少ないと人生の楽しみ方の幅が狭くなり、不幸になりずらい。

 

 

さいごに・・・

 

僕は今現在結構幸せに生きていると自覚している。

 

好きなことをしているし、仲間も見つかり、いざとなったらネットで知り合った人たちと生きていくという選択肢もある。

 

結局大事なのは家族や会社だけじゃないもう一つの居場所を作ることであり、そこの部分を多くの人は厳かにしているような気がする。

 

この国の雰囲気がなかなかそうさせないところはあるけど、もっと貪欲に幸せを求めてもいいと思う。

 

そのための境界線や住み分けみたいなのって良い手段だと思う。

 

 

そこは甘夏さんとは対照的な事なんだけど、自分の悪いと思うところは裏返すと強みや好きなことにもなったりする。

 

線を引くという事はあくまで自分が傷つかない為のリスクマネジメントだと思っていて、合わない人と極力関わらないって大事なことだと思う。

 

と自分大好きで語り賢者な僕が語ってみました。