ゆとり男とミニマリストの融合ライフ

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寛容的な人間にならなくても、理不尽に他人を傷つけなければそれでいい話

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どうも他人に寛容になりたいと思っているたんたん(@tantan4423)です。

 

当ブログでは自分を好きになるということは他人に対して寛容になれるということを言っているのですけど、実際に他人に寛容になるのって難しいですよね。

 

他人に対して寛容になれないから争いや足の引っ張り合いもあるわけだし、もっと他人に優しくなれたら生きやすい社会になると思う。

 

関連記事:なぜ自己肯定感低い人同士が足の引っ張り合いをしているのだろうか?? - ゆとり男とミニマリストの融合ブログ

 

今回はそんな寛容性について考えていきたいと思います。

 

 

寛容性とは??

 

寛容性とは書いてある通り「心が広く、他人の行動をおおらかに受け入れることが出来る性質」です。

 

例えば職場の同僚がミスをしたときも「まぁそんなときもあるさ」といって出来ない相手を受け入れて一緒に対策を練ったり出来る人です。

 

けっこうゆとり的な考えなのですけど、心のゆとりが相手を思いやることに繋がります。こういった性質があると、周りの人からの信頼を得ることもでき、豊かな人生を送ることも出来ます。

 

逆に寛容性のない人はすぐに相手を責め立てたりして、相手の尊厳を傷つけたりします。こういう人は自分が正しいという意識が強く、自分を正義を守るために自分と違った価値観の人を攻撃しようとする構図です。

 

こう書いていると僕もこのブログでは相当寛容性のない人間だということが分かりますね。といっても他人に対して寛容性のあるブログってめっちゃ少ないですよね。

 

自分に余裕があることが大前提

 

僕は自分のことで精一杯というか、自分のことが大好きな人間なので特定の人にしか優しくすることが出来ないです。

 

それでも案外僕みたいな人って少なくて、自分のことより他の人の幸せを大切にしている人って多いんじゃないかなと思う。

 

しかも、それが家族や友達や恋人じゃなくてたいした関係性の薄い人や世間の目に無理していい顔をする人が多いような気がする。

 

人に迷惑をかけらず生きていくことは不可能だと思うだけで人を許せるような気持ちになる。

 

人に迷惑をかけたらいけないという言葉を親や先生からよく聞かされていたけど、迷惑かけることって一緒に生きていればしょうがないことでもあるので、僕は迷惑をかけた人に対して、なかなか責めたりすることが出来ない。

 

そういった僕は寛容なんかじゃなくてただ単にリアルで人を傷つけることが怖い臆病だということである。

 

しかし、結果なにもしないことによって救われる人もいるわけだし、その人も好きで迷惑をかけたわけではない。必要以上に責め立てる人は一つの方向しか見えていないか、人を責めることによって快感を得たいだけのような気がする。

 

余裕があるときと無い時がある

 

寛容な人って言っても時と場合によっては、寛容じゃなくなることだってある。そりゃ人間だし気に食わないこともあるし、なんでも受け入れろというのは難しい話だ。

 

寛容がなさ過ぎるのは関わりたくないけど、寛容がありすぎてすべてを受け入れる人は何か怖いようなきがする。

 

余裕がある時は受け入れてその人を助ければいいし、余裕が無い時はブログかなんかに書いたりして、ストレス発散すればいいと思う。

 

大事なのは寛容な気持ちになれない時にリアルで相手をメタメタにしようとしないことでもある。もちろん理不尽な扱いを受けた時は全力で抵抗すればいい。

 

余裕が無い時に弱い者イジメをする弱い人間にはなりたくないなと思う。

 

寛容的にならなくても理不尽に相手を傷つける事さえしなければいい

 

世の中には理不尽なことが溢れていて、理不尽に相手を傷つけようとするモノが多い。ブラック企業とかなんてまさにそうだ。人間を人間だと思っていない人は意外にゴロゴロいてやべーなってなる。

 

そういう世の中の雰囲気みたいなものもあるけど、自分の正しさのために他人を踏み台にするみたいな考えはなかなか理解できない。

 

人間違うのが当たり前だし、自分の考えを押し付けるというのは普通に考えて傲慢な行為でもある。しかし、人間の性質上そうなってしまうだろうし正義のぶつかり合いによって消耗する人も数多いようなきがする。

 

自分と他人を違うものだという意識を持つことが理不尽の行動を抑制するかもしれない。

 

自分の機嫌を損ねない人と一緒にいるのが一番いい

 

そもそも自分との関係性においてあまり好きじゃない人と関わっているから、理不尽な人権問題が起こるわけでもある。

 

ブラック企業に入っているから理不尽な扱いを受けて、鬱になったり自殺してしまうわけなんだから、自分の嫌な人がいない環境の構築がいちばん大事なんだと思う。

 

嫌いな人を受け入れる力も大事かもしれないけど、それ以上に自分にストレスの少ない環境を作っていくことのほうが幸福度が高いようなきがする。

 

自分の好きな人になら意識しなくても寛容的になれるし、そっちの方がいいような気がする。

 

まとめ・・・

 

寛容的な人になると少しハードルが高くなってしまって難しいことに感じてしまうけど、理不尽に人を傷つけないならやれそうな気がする。

 

すべての人に寛容なんて仙人じゃない僕には無理がある。結局、自分と似たような考えを持った人を集めてその人達と生きていくほうが大事で、今ではネットの普及によって仲間集めも簡単になった。

 

いい時代に生まれたと思って、感謝の正拳突きをしたいなと思う。

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おわり。