ゆとり男とミニマリストの融合ライフ

ゆとり男とミニマリストの融合ブログ

ゆとり世代のミニマリスト。ミニマリストネタを基本につぶやく雑記ブログです。

自分ことを嫌いな人より好きな人の方が圧倒的に多いから安心しなよという話

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ブログをしていると必ずしもみんながみんな自分の意見に賛同してくれるわけではない。

 

そんな事は当たり前の話であって、みんなに好かれようとして自己発信するのは難しいんじゃないかと思う。

 

そもそも炎上とかって一部の意見の合わない人が起こしているだけであって、その人とわかり合うという事自体無理な話だ。

 

よく炎上してブログを辞めたり人間不信になってしまう話を聞いたりするけど、そもそも自己発信する際に受信者に対して期待しすぎなんじゃないかとも思ってしまう。

 

変に期待してしまうから自分と思っていることが違う人が表れてしまったときにショックを受けてしまう。

 

別に期待すること自体はいいのだけど、その期待のハードルが高く設定させているから、こじれが生まれてしまうのではないかと思う。

 

まぁ僕もブログを通して価値観の合わない人を引きつけないようにしているけど、炎上もする。

 

考えもコロコロ変わるし、たまに何が言いたいのかよくわからなくなる事もあるけど、パソコンやスマホで文章を作っている時間が幸せだから誰が何を言おうと記事を書き続けると思う。

 

そもそも自分のことを嫌いな人なんて一握りしかいないわけで、そもそも価値が合わない人と関わるだけ不毛な消耗戦になってしまう。

 

そう思うとはてブや閲覧も気に入らない奴は見せないみたいな機能はあったほうがいい。それがお互いのためなんじゃないかと思ってしまう。

 

僕もこんな感じのブログ運営をしているけど、周りに集まる人は好意的な人が多い。多分アンチなんて数パーセントしかいない。

 

そう思えばその数パーセントのために労力を使うのは馬鹿馬鹿しい。それより、自分の事を好きな人たちのために何かしたほうが幸せなんじゃないかと思う。

 

人生一度きりで後には戻れないからこそ、自分の好きな人との時間を大切にすべきだと考えている。

 

なんか嫌いな人でも社交辞令とかそういったもので無理に一緒にいないといけない雰囲気はどうかしていると思う。

 

嫌いな人に嫌いっていうのはもっとしていくべき動きだと思う。実際人は言わないと分からない。

 

なのに自分で主張することを逃げている節がある。まあ僕もよく我慢してしまうことがあるから人のことは言えないけど、もっと好き嫌いを言える人間になりたいと思っている。

 

嫌を排除して好きを取り込んでいく。これからの人生で僕が目指していく所のような気がする。

 

人とうまくやっていくためには嫌いをうまく飲み込んでいかないといけないんだけど、僕は嫌な事は捨てたり逃げたりしたい人だ。

 

実際に嫌なことから逃げた人で不幸になった人より幸せになった人の方が圧倒的に多いような気がする。

 

我慢するって単なる現状維持だ。待っとけば餌がもらえるワケでもない。

 

今が幸せならその現状を維持するのはいいと思う。しかし今現在幸せを感じていない人が我慢して幸せじゃない現状を維持して何があるのか僕は分からない。

 

実際に僕自身は今現在は幸せだ。

愛する妻に、友達に家族に恵まれていて毎日好きな読書やブログをすることができている。

 

ぶっちゃけこのまま現状維持したいとこもあるけど、もう少しお金を稼いで大好きな人たちと何処かに行ったり美味しいものを食べたりという事をもっとしたい。

 

ミニマリストと言っているけど、僕の幸せへの欲望はミニマムではないようだ。一応現状の幸せを噛みしめる事はできている。

 

それも僕の事を嫌いな人より好きな人と関わることが多いからだ。そういう風に考えると、一部の僕のことがあまり好きじゃない人の事なんて気にしなくていいような気がする。

 

そう考えると理不尽に嫌いな人と会う仕事や学校は害が多少なりともあるのではないかと思う。

 

という事をベッドで横になりながら考えてノープランで書いた所存でございます。