ゆとり男とミニマリストの融合ライフ

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ゆとり男とミニマリストの融合ライフ

ゆとり世代のミニマリスト。ミニマリストネタを基本につぶやく雑記ブログです。

【介護】認知症になるぐらいなら死んだほうがマシだよ

介護

 

こんばんわーたんたんです。

 

最近はネガティブな記事を大量生産してたまには明るい記事を書こうとしたところでこのネタが思い浮かんでしましましたww

 

実際にネガティブな感情を書きなぐるの好きですし、こういった記事が好きなマニアックな層もいるかもしれないので自分が書きたいことを書くスタイルをこれからも継続していきたいです。

 

以前の記事にも何回かは書いているのですけど僕は現在介護士として老人ホームで働いています。

 

老人ホームにも何個か種類があって

・死ぬまで暮らすところ(特別養護老人ホーム

・日帰り(デイサービス)

・数日泊まる(ショートステイ

 

が主にあります。

 

 

他にも医者がいたりするところや病気の種類によって特別に入れるところとかたくさんの老人ホームがあります。

 

その中でも僕は特別養護老人ホーム(通称特養)で日々汗水流しながら働いています。

 

 

www.tantandaisuki.com

 

www.tantandaisuki.com

 

 

僕が働いているところではシフト制で夜勤もあります。

 

その特養の中でも僕がいる部署は認知症を患った利用者さまが多く生活をしています。

 

実際にそういった方のお世話をしていて認知症とはどう言った症状があり、どういった関わりをしていいのかを仕事を通して学んでいます。

 

こういった学びから僕が実際に認知症になったらこれから先の未来を生きたくないと考えました。

 

前置きが長くなってしまったけどそう思った訳を下に書いていきます。

 

自分が積み重ねてきたものまで忘れてしまうから

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認知症の症状が出てくると記憶の保持が難しくなってしまい多くのことを忘れてしまいます。 

 

人によって程度は違いますが今さっき言ったことと同じことを言ってしまったり、自分の最近の過去を忘れてしまい子供の頃の記憶だけ残っているとかさまざまあります。

 

認知症って回復することなんてなくてなってしまうと症状はどんどん悪化してしまいます。トイレの仕方や場所を忘れてしまったり、自分の足の調子が悪いのを忘れてしまって無理な歩行をして転倒して二度と歩けなくなる人だっています。

 

その方の家族さんが施設にやってきても、知らない人だと思ってしまうことも良くあります。 

 

それってほんとうに辛いことで今まで自分が大切にしていた家族や友人のことを忘れてしまうなんて忘れられた相手もショックですけど本人からするともっと苦しくて辛いことなんだと思います。

 

日本国憲法生存権で尊厳の保持がありますけど、大切なことを忘れてしまった人にまだ生き続けろっていう社会もどうかと思ってしまいますね。

 

その気持ちに寄り添うのが家族や僕達みたいな介護職員なのですけど、やっぱり失うことによる悲しみは計り知れませんしなかなか他人が理解するということは難しいのではないかと実際に感じます。

 

人生の最期に忘れたまま過ごすということは苦痛でしか無いと感じます。

 

その感覚を忘れてしまった最後に意味はあるのかを考えたいです。

 

それはなんの目的もなくただ生かされている状態でもあるので僕なら早く死なせて欲しいと感じます。

 

周りへの負担が膨大

 

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実際に入所してくる利用者さまの家族さんは疲れきった顔をしています。

 

テレビとかでも在宅介護の大変さをよく特集していますが、頼れる人が少ないと少人数に大きな負担を強いられてしまいます。

 

こういった意味では僕らの勤めている介護施設は多くの人数で1人の利用者をみているので負担的な意味では分け合っています。

 

実際に介護職員をしていて介護のプロであっても一人で親の面倒をすべて見ることは難しいのではないでしょうか??

 

体の動かない人の介助をする際は黙々と介護に集中すればいいのですけど認知症の方の介助はそれだけではなく、関わりということが求められてきます。

 

認知症は脳の衰えからくる前の言い方でいうと「ボケ」が進行した状態です。

 

人によって症状はそれぞれですが、おおよそは短期間の記憶がこんなになってしまいます。

 

さっきご飯を食べたのに「ご飯はまだかね??」と聞いてきたり

家族に向かって家族に合わせろって泣きながら訴えてくる人も居ます。

 

 

僕たちはプロとして仕事をしていて、割りきっているところもあるのですが家族という立場で介護することは本当に大変だと感じます。

 

前の姿とのギャップで悩まされることもあるだろうし、終わりが見えないトンネルを走り続けるようなもので不安や孤独にも戦わないといけません。

 

 

自分の大切な人にその悲しみを背負わせたくない

 

実際問題自分の親や子どもは絶対に介護とか関わってくのは言うまでもありません。

いつ体調を崩されるかわからないですし、明日から寝たきりになるかもわかりません。

 

僕のおじいさんも毎日山に出かけて竹を切っていたのですけど、脳卒中で緊急搬送されてしまい、脳に甚大なダメージを受けていしまい植物状態になってしまいました。

 

食事も口から食べられることがなく胃ろうによって命をつなぐ状態になってしまいました。

 

それから5年ほど生きてはいましたけど、その間の家族の悲しみは半端ではありませんでした。

 

いきなり話すことがままならない状態になってしまったので心の準備もなっていませんでした。 その5年間ははっきり言うと辛いだけの5年間でした。

 

この話は認知症には直接関係はないですけど、認知症になって大切な人のことを忘れてしまうのは、それと同じくらいの悲しみが伴うのです。

 

そうなるくらいならまだ自分が分かっている間に悔いの残らないように行動して逝かせてもらいたいです。

 

自分のせいで家族を悲しませたくもありませんし、自分の恥ずかしい姿も見られたくありません。

 

そういった気持ちを抱かずに死にたいと思うのはおかしいとは思えないです。

 

多様な世の中になっている今だからこそ多様な最後の過ごし方があってもいいのではないでしょうか??

 

大切な人だからこそ、迷惑を掛けたくないって思いってあるもので、その思いにどれほど添えるかって非常に大切なんだと感じます。

 

死に場所くらい自分で選びたい

 

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生まれてくるのって自分で選ぶことが出来ないから死ぬ場所ぐらい自分で選ぶ権利があってもいいのではないかと思う。

 

僕は上に書いたように認知症になったら死にたいと思っている人なので、自分を見失う前にさっくり死にたいと思っている。

 

実際にはそれを止める家族、友人がいてそれをなかなか実行することはなかなか出来ないかもしれない。

 

でも自分を見失って体中を管に繋がれたまま死んでしまうなんてまっぴらだ。

自分が何者かわからなくってしまうことは死同然と考えてしまう。

 

命は大切にしようっていうのは当たり前の話だが、別に命を雑に扱っているわけでなく、自分を大事にした結果こうなるのだ。

 

楽しいことがない人生なんてつまらない。これから先に楽しいことを見つけることが非常に難しい認知症という病気になった時点で僕は生きることを諦めてしまうだろう。

 

それぐらいだったら、正気があるうちに楽しいことに浸りまくるほうが何倍も充実した人生だったと言えると思う。

 

現在認知症になっている方は本当に苦しんでいると思う。大切にしてたことすら忘れ、自分でも何がしたいのかわからない状態で、しかも死なせてくれない・・・

 

 

彼らに救いはあるのか?ってほんとうに思ってしまう。

 

 

認知症の方の尊厳をいかに守ることが大切だと思う

 

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自分が尊厳のある最期を迎えるためには元気なときに手を打っておく必要があると思う。

 

遺言状までもいかないが自分に何かあった時にして欲しいリストを作ることは大切なのではないかと思う。

 

例えば、施設に入るのか今は認められてないけど安楽死するのかとか・・・

 

実際に認知が進んでしまうとこういったことの判断がしづらくなっていく。

 

それなら事前に自分でどうありたいのかを書面で作っておけば、周りの人はそれに反した行動ができなくなる。

 

そして、その自分の願望を叶えようと周りの人は協力してくれると思う。

 

自分の意志が伝わらないからこそ望まない結果になってしまうのだ。

 

事前に手を打つことがリスクマネジメントになっていくのだ。

 

 

安楽死も本人の意志を尊重するための手段だと思っている。

 

 

よくネットでも安楽死の賛否について書いているのをみますが、介護職員の立場で言うと賛成です。

 

介護施設に入所する人ってそこで最期を過ごすということになるのですけど、施設や実家以外での最後の場所があってもいいのではないかと思う。

 

安楽死に関しては自分の判断によってするかしないか選べるので認知症を診断されて、あともう少ししたら自分が何者かわからなくなってしまうという立場になったときに、生きるか死ぬかの選択ができるだけでもその人は大分救われると思う。

 

個人を尊重するなら国がそのための選択肢を用意すべきなのではないかと思う。

 

安楽死を導入するにあたって難しいのは施行する側の心理的問題と安楽死で亡くなろうとする人が増えるということではないか??

 

僕個人としては安楽死する人ってそこまで多くは無いと思う。

もし志願をしたとしても長いカウンセリングと周りからの言葉で取り消す人がほとんどだからだと思う。

 

逆にそこまでしても安楽死をしたいという人の気持ちは本物でその人の気持ちに沿うこともできる。

 

ただ、先程も言ったようにこのような制度があるだけでも全然気持ちは違うと思う。

死にたいときに人に迷惑をかけずに死ねるという気持ちの余裕があれば生き地獄を味わうことはない。

 

でも安楽死を施行する側の心理的な問題は大変なものがありボク個人としてもいい方法は思いつかない。

 

いろいろな人がいるのでみんな一緒の死に方をしましょうという今の感じはやっぱりおかしいなと思ってしまう。

 

 

さいごに・・・

 

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こういったことを介護士である僕が言うべきことではないとは思っているがこの場では言わせていただきたい。

 

実際に認知症の方と関わってその方や周りの方の悲しみに触れてしまった。

 

もし自分が彼らの立場になってしまったら深い絶望を感じてしまう。周りの人のエゴによって生かされている状態を本当に生きていると言えるのだろうか?

 

なかには本人から望んで施設で生活をしている人がいるが、多くの人が「帰りたい」って言って家を求めて施設内を徘徊しているのだ。

 

ほとんどが望まれないなかで施設での生活を送っており、そこで働いている僕らは彼らの気持ちに寄り添って楽しいことを一緒にして少しでも施設での生活を楽しんでいただけたらって本気で思っている。

 

それでもなお、マイナスの気持ちが強すぎて僕達じゃどうしようもないことがたくさんある。

 

職員の立場からしても理解したうえで施設に来てくださったほうが嬉しい。施設や病院に入ってまで行きたいと本当に思うのならそれはいいことだと思う。

 

やっぱり、命を持って生きている以上自分がどう死にたいかは考えてアウトプットする必要はあると思っている。

 

それが周りの人を安心させることにもなりますし、自分らしい最期に繋がるのではないかと思っている

 

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